白・雪・花、舞い散る!   

昨日1/23、朝、玄関を開けると目の前の見慣れた路地は一面の銀世界。
天からふわふわと大きな柔らかい雪が後から後から舞い散っていた。
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散る・・・この日、約35年間の舞台作りを共にした盟友がこの世から姿を消し白骨となった。
彼について語ることは多く、ここでは書ききれない。
しかし彼から影響を受けた者、想い出のある方は多い。
今現在の私自身の成り立ちにも、大きく影響を与えている。彼を知る人達の中には「天才肌の」と呼ぶ人も多い。

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骨になる直前、餞別の歌として「三文オペラ」の中の「人間のむなしさの歌」をみんなで歌いニックネームを天井桟敷からのように大声でかけごえかけて送り出してやろう・・・と前夜思っていたが、新米俳優の三男に、「それはやめときましょう」と静かに愉された。
恩師の千田是也氏訳の岩波文庫から出ている「三文オペラ」台本を手直しし、千田氏の許可を得て最初に上演したのが1982年冬。
何年か置きに以後4回、芸大の在学生などで楽団を作り私も音楽監督・指揮・演奏・歌唱指導で参加した。
俳優でもある本人は、演出・制作を兼ねてピーチャム役などで出演もした。
千田氏が亡くなった1994年は、追悼公演になった。
この直前に、作曲のクルト・ワイルの遺族が著作権を遺族側に戻しシステムを変えたので、楽譜をドイツより取り寄せ上演期間のみ借りるその借用代のみで50万、チケットから歩合で使用料支払い、となり負担の多い公演だったが、「三文オペラ」などのブレヒト劇は千田是也門下同士として共通の原点であり、私にとっては地域の児童劇指導、その他にも、その影響は濃い。
息子達はその風を体ごと浴びて大人になった。

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劇中のピーチャム(乞食商会の豪腕親父)が皮肉たっぷりに、貧乏人への愛情もこめて逮捕しに来た警官達に歌う「人間のむなしさの歌」という、しかしむしろ楽しくリズミカルな曲の、彼の意訳はこうだ。

「きつねは生きる/ずるさを武器に/おいらも真似するがうまくいかねぇ/だって神様は人間様を/そんな風には作っちゃいねぇ」
「ノラ猫は生きる/魚をかっぱらい/おいらも真似するがうまくいかねぇ/だって神様は人間様を/そんな風には作っちゃいねぇ」
「幸せ目指し人間は走る/だが幸せはいつも品切れ/それを知ってか知らずか知らねえが/人間様は今日も走る」
「ゴール目指し人間は走る/走りゃまたゴールは遠くなる/空の上で神様達が/面白そうに笑ってござる」

詩人でもあるブレヒトのドイツ語での作詞でワイルが作曲。その訳詞で失礼ながらこれはいいと思う訳詞をされた方はあまり居ない。しかし、この意訳(キツネなんて言葉は原詩にはなかったと記憶している)は、メロディーと歌詞のイントネーション、詩の世界観が合っている。
本人も、うまくいった、と気に入って、何かにつけてよく歌っていた。享年59才。若すぎる。

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あえて、同じところに書くが、更に私は未来へ向かって走っている。
向かう未来とは、いずれ、雪となって散る世界への旅なのか?
いずれにせよ、私はまだ、生きている。
今までやってきたことを、生かすことが出来るよう、今後は努力しよう。

明日「南青山マンダラ」という120席の老舗ライブハウスで「薔薇笑亭SKD」の新春ライブがあり、音楽監督・演奏で参加している。内容は現在私が研究テーマにしている「昭和ジャズ」の世界で、ジャズ評論家の瀬川昌久氏も協力している。

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歌唱指導で毎日稽古場のある南千住に通い、毎回何時間も費やした。
昼過ぎからやって気がつけば終電近いときもあった。
トークやダンスとの兼ね合いで演出家山西基弘氏が、どんどん曲のアレンジ指定を変えていく。

「あー、ここ、ねずみの格好で出てきて、チュウチャウとかアドリブで言いながらね、そうそう、曲が始まる前に、あ、すいません、そんな感じの効果音みたいな音でピアノ、弾いてくれませんか?チュウチュウ、チュチュチュ!チュウウウ!!!♪チュウチュウトレイン~と、そうそんな感じで、曲が始まるように。」
なんて、そういうのをバンド用にも今度は音楽的頭脳で理解できるよう書き、しかも一目瞭然で初見で弾けるように(なんせジャズマンはリハ嫌いだから・・・)楽譜にしないといけないので、それを帰宅してバンド用譜面に編曲し直す。

しかし、歌が怪しくて、気をもんでいたが、成長するものだ。個性的で面白い、と言える段階になってきた。
成長株で若手ホープのグレース美香は、公演後ニューヨークに勉強に行き、帰国未定とのこと。
何度か私のライブにも出演していただいたが、楽しみなひとり、これがもしかすると日本でのライブは最後になるかも?
終演後、送別会パーティーも会場で行われる。
昨日は最終稽古だったが、衣裳・ダンスが入るとさすがにSKD!目を見張るほど素晴らしく華やかで美しい、大いに宣伝したくなった。
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# by imamusic | 2008-01-24 15:18 | 日々徒然 | Comments(8)

帰ってきたよ!我が心の青い山。   

1/11(金)、40年ぶりに青山の地で、息づいた。
去年、40年前の高校の友人から「1~2年前に母校の近くの外苑前駅の真上にライブハウスが出来た、ここでやればみんな集まれるよ」という変な誘いを受け、音の鳴り方や居心地、楽器の使い勝手、システムなどチェックを兼ねて、この日、おっかなびっくり初ライブをしてみた。
だから集客もそれほどしなかったんだ。

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リハーサルの為に、2時間前の17:30頃到着。地下鉄の駅の3番出口を上がると「sign」という洒落たコーヒーショップが。あれ?記憶ではここがライブハウスだったのだが。違った・・・どこだろ?
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すると目の前を、友人の旦那様が私の名前を呼びながら通る。あまりの突然な登場が、アリスのうさぎみたい。しかしなんだかとても明るくいい顔!きっと街が気に入ってるんだな、これ。そういう私も、駅を出たとたん気持ちが高揚した。いいよね、やっぱりこの街。
「腹ごしらえに『増田屋』に行ってきます」と。増田屋!健在かー!放課後行った事あったなー。

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「sign」の隣がブティック、そしてその隣がライブハウス「Z-imagine」(ジマジン)だ。
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この魔法の国に入って行くような、扉、地下へのレンガの階段、なんとなくかび臭い地下の洋風隠れ家風。
扉から、銀座三越の古いエレベーターの扉の年月を思い出した、そんな感じ。
以前は違うことに使っていた店を、トイレなどもそのままにして、グランドピアノやドラムを入れてライブハウスにしたとのこと。
店には食事できるようなものはなく、おつまみとドリンクのみ扱っている。音楽を聴く為のスペース。
万事がオーナーの日本人離れした粋でアーティスティックなインテリジェンス。私のハートが呼応する。

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この日はsaxの斎藤君、vocalのグレース美香をゲストに迎え、我らがいまむら直子トリオは、現場にあった楽器もいい音で、久しぶりに気持ちのいい興奮を覚えた。
ドラムの中屋氏は、このドラム最近はもう見かけないよ、しかもこの模様、このメーカーでも初期の頃のだ、懐かしいなあ、昔はNHKとかテレビ局によくあった、いい音なんだよ、と。
ベースの宮崎氏も、いいじゃない、このベース、初めて見るメーカーだ、と。良かった。
私の演奏は、嬉しさで舞い上がり、ピアノも歌も、即興演奏が高音へ高音へと跳ね上がった。
まあこの日はこんな感じで許しておくれ、だった。観客は20名強。空間的にはちょうどいい感じ。
早速、ここを定期的に使わせていただきます。次回は3/21(金)。仮予約した。
次の時は、ようやく落ち着いて自分らしさを出せると思う。

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お客様から花束と菓子折を頂いたが、帰宅したら花が2つ、茎から取れてしまっていた。
金曜日の地下鉄は混んでいたから・・・。
広口のガラスの器に浮かべたら素敵になった。テーブルの上に飾ってゆっくり紅茶を飲んだ。
ライブのテーマ「昭和モダンのジャズレヴュー」の勉強のため、前夜読んだ本・服部良一の「ぼくの音楽人生」を、もう一度眺めながら。
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# by imamusic | 2008-01-14 02:52 | 音楽的生活 | Comments(9)

演劇的空間   

世田谷区介護予防部生涯現役推進課企画で、エフエム世田谷ラジオ番組「木曜スマイルKAN」を中高年の区民スタッフが作るという、そのスタッフになっています。
明後日のライブの準備、主婦劇団の音楽も振付用に今日明日中には音を作って渡さなきゃならない、来週からはSKDの1/25ライブ用指導が続くのでその準備も必要・・・うわーっ、更にボランティア活動している暇はないはずなんですが、1/24放送は2月の下北沢演劇祭前だから、その取材をしましょう、と提案したのは私・・・。行かなきゃねー、これは。

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ということで昨日午前中は、下北沢南口商店街理事長の事務所へ取材に出かけました。
一応チーム班は5名なんですが、皆さん忙しく、私とチームのMさんとエフエム世田谷のTさんと区の生涯現役推進課のWさんの4名・・・結構増えた・・・で行きました。

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理事長の吉田さん、70代のとても世話好きな感じでお話の上手な方でした。
事務所のテーブルの上には、グレタガルボやレッドバトラー、テンプルちゃんなど往年の銀幕スタアの写真が一枚ずつあるトランプがびっしり並んでいました。
あの頃の映画が大好きで、こうやっておくと全部いっぺんに見れるから、とのこと。下北沢に生まれ、下北沢で育ったという生粋の下北っ子だそうです。

空襲の無かった下北沢は大正時代のままの所が多く、それが若者達には懐古趣味の新鮮さにも繋がり、土地に古くから住む年配者達はむしろ外から来る若者達と共存して元気をもらっているとのことでした。
そこに本多劇場グループで有名な本多さんが次々に作った劇場群で演劇の街になったことが相まって、一種独特の街になったそうです。

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色々貴重なお話をたくさん聞き、このアナログでアーティステックな土地、ますます好きになりました。
ここに住むのもいいなあ、と思い、夜、バイトから帰ってきた演劇活動をしている三男に話すと、猫好きな三男は愛猫ヒヨコを抱きながら「猫の街・下北沢とも言うんだよねー、そこに住もうかなー」と。
彼にはぴったりの街だと思うな。
なんせ彼の部屋は白黒映画の路地裏のような(わかるかなー?)、超演劇的空間だからなー。

(放送は1/24昼12:45~13:00、現在編集中!)
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# by imamusic | 2008-01-10 01:20 | 日々徒然 | Comments(1)