カテゴリ:日々徒然( 213 )   

沖縄平和学習の旅に出掛け、最後に発見したのは沖縄のアイデンティティの素晴らしさだった。   

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「さとうきび畑」の歌は、ざわわ、ざわわ。ざわわ〜で始まる。これは海の音かな?心の音かな?風が渡る音かな?と想像していたがよく分からなかった。それを体感したいというのも理由の1つで、8/30から4日間の沖縄ひとり旅平和学習に出掛けた。実際、それは葉ずれの音だった。しかし、こんなに大きいとは想像していなかった。

「島唄」の中程の歌詞(ウージの森であなたと出会い ウージの下で千代にさよなら)は、この葉の中で若い2人は出会い、この葉の中で2人は自決する、という意味だそうだ。

それは本土防衛の為の捨て石作戦。その犠牲の上に、その未来の本土の人間である私の命が乗っかっている・・・。青い空も、緑のさとうきびも、何事も無かったように輝いているので、この中に立っている時は実感が湧かなかったが、こうして写真になって見てみると、不思議と悲しさや虚しさや憤りが湧き上がる。

2017年8/30から4日間、沖縄へ平和学習に行って来た。
2014年夏(終戦69年)、区切りの年になる前にと長崎へ行った。
その年4月1日に愛犬が12歳半の生涯を終え、それにて1982年3月長男誕生から、実に32年間の世話係から解放されたので、自分の人生を振り返り長く平和社会の幸せを甘受してきた理由を知る学びの時間が出来たのだ。

2014年は長崎へ行くついでに通り道にある父の墓へお参りに久しぶりに行った。父方の郷里には、いつの間にか太刀洗平和記念館が出来ていて、東洋一と言われた太刀洗飛行学校の少年生徒達が訓練後に2万人もゼロ戦飛行士として旅立ち、基地から家族に送った手紙が展示されていたのを見て、衝撃を受けた。

今回も多くの事実を知ったが、沖縄は地元民を巻き込んだ膨大な犠牲とその複雑な関係性や展開を紐解くように少しずつ知るにつけ、私の頭はたびたび混乱した。とても4日間では足りない。

しかし偶然の出逢いがあり全てをサポートしていただいて、奇跡のような平和学習の旅をプロフェショナルな導きにより行うことが出来た。

"その人"は、最初の訪問地「一中健児の塔」で公園の緑化計画を練りながら歩いているところだった。たまたまそこに私が着いたのだ。
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朝、レンタサイクルを借り市内の旭橋から国際通りを通りここまで登ってきた。途中から勾配が急になり30分ほど押しながら登ったが、この坂を首里城の方面へ老人子供の手を引き逃げ惑った沖縄地上戦での民間人の壮絶な苦労を思うと、少しでも同じ労働をして追悼したい気持ちだった。

自転車で来たと聞いて"その人"は驚き、敷地内の一中学徒隊資料展示室を見るように勧めた。資料室は近くの首里高校(旧沖縄一中)の「養秀同窓会」が建て管理していて"その人"は副会長だと言う。
冷茶を戴きながら「これから父の同級生・大城立裕さん宅へ自転車で行く、その後は嘉数公園へ」と言うと「えっ!立裕先生?!」と又驚き、しばらくして「まだこれから坂もあるし嘉数公園は自転車では遠い、今日は時間があるので車で回ってあげましょう」と。
結局、これがきっかけで"その人"照屋寛孝さんと沖縄二日間の昼間をご一緒する事になった。

まずは腹ごしらえに近くの古民家そば屋「御殿山」に連れて行ってくれた。150年も経つという民家は味わいがあった。
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沖縄の家の造りの典型的な間取りだそうで、玄関は無く、庭の引き戸から直接入れる。さあさあどうぞ、と人との繋がり、コミュニティを大事にするのだそうだ。
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入ると一番座という床の間のある部屋がある。客人はここに通されるらしい。鴨居のある左側の向こうは二番座でもう少しくつろいだ部屋。
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二番座の左奥は台所で土間がある。ここは更に身近な人達同士の集まる場所だとのこと。
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古い作り方にこだわった沖縄そば。初めて沖縄そばを美味しいと思った。
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庭に、照屋さんがこの木をもっと広めようと活動している福木があった。手前の厚みがある楕円形の大きな葉っぱがそうだ。昔は貧しい家の子供は履物がなく、丈夫なこの葉を茎の所を指に挟み草履にしたそうで、草履の木とも呼ばれていたそうだ。サンゴ礁の上に土があるという沖縄の大地にしっかりと根を張り、潮風害に強く台風でも落葉しないので防砂林として使われ、沖縄に適しているので、もっとこの木をあちこちに植えたい、その為に今地上に落ちた黄色い実を食用に出来ないかとアイデアを出しているところらしい。
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その後、大城邸へ寄り、照屋さんも一緒にお話しした。沖縄返還前の琉球政府と返還後の県庁に部署は違うが二人とも奉職されていたので、照屋さんも初対面の大先輩に色々と話があり、口下手な私は助かった。
大城さんは私の亡き父の大学時代(上海同文書院)の同級生。1967年発表の小説「カクテルパーティー」で沖縄で初めて芥川賞を受賞した有名な作家だ。92歳とご高齢な上、圧拍骨折と坐骨神経痛で胴にギブスをされ夏風邪も引いてマスクをされ、書斎から杖をついて難儀そうに出てこられたが、玄関の上り口にある応接セットで30分くらい話をしてくれた。
初めて沖縄に来て自転車で街の様子を肌で感じながらここまで来た私の第一印象が「ここは日本とは違う文化がある、南米や地中海のようでもあり中国も混じっている、アメリカは根付いてはいないが日本文化もまた希薄な・・・異国のような」という不思議な感覚だったので、まずそれを話した。その原因が王朝があるという事にあるのだろうか、と感じていた。戦争で大変な目にあった土地だけれど、それを超越した強い存在感・・・憧れを抱くような美しさや安定感や気高さが、人々や家屋や土や植物などに潜んでいるのを感じた。沖縄の魂、とでも言おうか。そこには天皇を中心とした私達日本の文化とは相容れない。やはり王朝が違うのだ。
それらを一気に話している内に、その魅力探求の方が平和学習より私にフィットして来てグイグイ吸い寄せられ、そもそも沖縄とは、という観点から考えた方が当初の問題も解けて行く気もした。そう考えるとこの島は小さいながらも独立国家に見えて来て、思わず「大城さん、最近はアフリカなどで小さい島がどんどん独立し国になっています、沖縄はどうなんですか?」と聞いていた。32年に及ぶ私のお世話係人生も終わったというのに、世話焼き癖は続いているのか、この物語を持った魅力的な、小さくて純粋で可愛く、無力でもある島、沖縄自体を応援したくなった。「ここは、日本じゃあないですね」と言うと大城さんは大きく頷いた。

大城さんから是非行くべきと言われていた嘉数高台公園に着いたら、公園の樹木にかかっている樹名札が学名・日本名・沖縄名と三つ書いてあるのが目立ち照屋さんに言うと「あーこれはねシールを作って貼ってと大変でしたよ」と言うのでビックリ。沖縄のどこに行っても照屋さんは関係があるようだった。専門の林業や植物の話はとても楽しい。北海道でも北大山スキー部OBで林業が専門の同じ年頃の倉持さんと言う元道庁勤めの方と、山小屋ライブの折に朝散歩で樹木と土地の話をたくさん聞いた。沖縄と北海道でこのような人達と交流できたのは、私の人生の中の大きなポイントだ。あらゆる事象へのものの見方が、この樹木を通して見ると不思議に正解があるような気がする。
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高台の展望台から、オスプレイが着陸する米軍飛行場が見えた。隣国の危険な動きも数日前にあり、72年前の沖縄と今の沖縄をヒリヒリと感じた。ここは東京とは異質な緊張感が常にある。
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それから、車ならこちらも是非行くべきと大城さんに言われた佐喜真美術館へ足を伸ばした。美術館には広島・長崎の原爆図を描いた丸木夫妻が、沖縄の惨状を描かなければ自分達の仕事は終わらないと沖縄に住みこみ調べに調べて描いた大作の絵が壁面一杯にあった。ちょうど高校生数人が見学に来ていたので館員が彼らに伝えるべく絵の細部を指しながら沖縄地上戦の成り行きを丁寧に解説していた。一緒に聞きませんか、と館員に勧められ聞いた。これを聞けて頭の中がクリアになり、とても良かった。
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8/30夜は旭橋駅近くの「ピノ・プレイス」というライブハウスへ友人に同伴して行った。後半は請われてセッションに交ざり演奏し、終演は深夜2:00過ぎ、就寝は4:00。
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翌朝は午前中、近くの「対馬丸記念館」へ自転車で往復。その後、照屋さんの車で夕方まで南部の糸満方面へ。琉球ガラス村、平和祈念資料館、識名園を回り、ガラス村以外は県庁にお勤めの頃、色々担当されたと仕事のエピソードを語ってくれた。最終日は首里城へ。

ガラス村のミュージアムには称号をもらった作家たちの目を見張る素晴らしい作品がたくさん並んでいた。
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平和記念公園。広島と長崎の火種を一緒にして灯し続けているそうだ。中央の道からここを見ると、ちょうど沖縄戦が終わった6月23日の日の出の方角に、この火があるのだそうだ。この先の海には、米軍の戦艦が大量にいて水平線は戦艦で真っ黒で、北部から命からがら逃げてここまで南下して来た住民たちを船から一斉に艦砲射撃を打ったそうで、この青空そのものが平和の印だ。
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公園の資料館をじっくり見終わって遠くに見える摩文仁の丘を背景に立った。
帰り道、さとうきび畑に降ろしてもらった。
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もうひとつ、照屋さんの薦めで立ち寄った識名園。琉球王朝が外国の要人をもてなした古い庭園と別荘だそうで、前日の蕎麦屋の間取りと基本的には同じとのこと。やはり玄関がなく開放感がある。
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最終日に行った首里城は・・・本当は戦争時に首里城の地下に作った日本軍の総司令部と共に空爆で完全に無くなったのだが、観光の為に復元したものだ。行って見たが、全てがハリボテで大雑把なペンキ塗り・・・遊園地のお化け屋敷のレベルで・・・唖然とし、憤り、そして悲しくなり、初めて沖縄の喪失感に触れたようで涙が出た。順路があるので仕方なく城内に入ったが・・・見るに忍びない。周囲は中国語が飛び交う観光客で一杯。日本人なら到底しないが、彼らはワイワイと王様の玉座の前でピースサインで記念撮影をしていた。それでも、、このお陰で生活している人がいる。チラリと数日間訪れただけの内地の世間知らずの私が、何か言うべきではない。せめて、沖縄の美しく気高いアイデンティティーをもっと探求して、その底知れぬ強さに触れ、それをもって、むしろアイデンティティーを見失っている私や息子たちの世代への刺激にし、そこから新しい時代の危機に対しての平和を考える基礎としたい。














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by imamusic | 2017-09-04 02:00 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

新しいスタジオで開催した「Step To Peace」2017夏。   

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「STUDIO GERA」という自宅スタジオをオープンして3ヶ月半。
ここでする事の一つに、どう生きるべきか、という事を、
とりわけ「平和」をテーマにして、みんなと考えたい、という気持ちが事前にあった。

8月は終戦記念の日だ。原爆記念日でもある。そしてまた、旧盆でもあるんだ。雲の上からの視線を感じる日々。
さて、どうしたらいいか・・・迷った時は大抵図書館に行く私。貧しい頭脳を刺激し、企画してみた。
具体的に、終戦記念日の前日・8/14に「Step For Peace!」という歌や朗読の会を開催でき、何かホッとした。
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昼・夕方・夜と三回に分けてやったので、集まった人たちの顔ぶれも違い、同じテーマでも内容は大いに違った。

各回10名強の集まりで、①ではコーラスグループ「Shoofies」メンバーも集まり平和の歌を数曲歌ってもらい、広島や長崎の子供達なら行事では歌っている馴染みの曲らしい「折り鶴」や「青い空は」の歌唱指導もした。
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絵本朗読は初企画で、本の絵をプロジェクターから投影しながらの久しぶりの朗読、演劇表現をした。

野坂さんの、悲しくて恐ろしい場面でさえ、優しい眼差しで描かれている文章は、戦争中でも一般人ならきっとギリギリまでユーモアや愛を大切に生きていたに違いない、そこが人間の救いである筈、と思える私の感性にハマり、またそれに共鳴した黒田さんの絵もあたたかく可愛くて、それを伝えたいと思う私の気持ちが、この形ならシンプルに楽しく出来ると確信した。
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それから、数日前の広島・長崎での平和宣言全文を翌日の朝刊の文面を参考にコピーして配り、小学6年生達の演説文は、私の後に付いて声を出してみんなで読んでみた(これは毎週ご近所さんと公民館でやっている健康ボイトレのやり方と同じ)。大きな声で人前で読む、というのはしっかりした準備が必要・・・。同じ日本人同士なのに、広島や長崎の人たちは子供の頃から、こういう文章を考えたり心を込めて読み上げたり、間違えないよう、きちんと届くよう訓練する日々を送っているのですね。声に出して読むとそういう格差や苦労が少しはわかります。だって、案外上手くは読めないですから。せめて少しでもその心に添いたいと思う。

声を出すと気持ちが広がって、参加者の中から、戦前生まれの人は学童疎開や防空壕の思い出の話、戦後生まれでも親や親戚が被爆し子供の時から直接聞いてきた話など、プログラムにない展開で、語り部という身構えるような形ではなく自然発生的なお喋りになったのが良かった。

②の夕方の部は入れ替わりメンバーで、お隣の小学生も来てくれた。小学生がいるとまた気分も変わる。急に未来が視野に入ってくる。来てくれてとても嬉しかった。
この回は、1945年夏、被爆した数日後に広島の市内に入り地獄の惨状を見た母上の手記を前に出て朗読してくれた人がいた。恐ろしい情景を見てしまった母上が、語るのはもちろん、思い出すのもどれほど辛いかが、娘さんが読んでくれた生々しい描写の言葉でわかった。客席で涙を流す方も。声を震わせて朗読してくれた彼女は「これで母の戦後がようやく終わったと思う」と言った。読んでくれてありがとう。

その後、僕は料理をするよ、と言って参加しにきた同級生のU君が腕を振るった料理を、②の参加者と③の参加者と私との6〜 7名でご馳走になった。鶏の煮込みヴェネト風(ボルチーニ入り)、ナスの日本酒蒸し、エビと椎茸のアヒージョ、茹で豚ゴマ風味ソース、鰹油煮入サラダ、茹で豚のスープジャズ芋入り、その他(青菜炒めもあったような)・・・それにワイン。超美味しかった。

そしていよいよ③のスタート。②とディナーの人達がそのまま居残り、Uシェフも実は合唱サークル仲間でジャンル問わずの音楽好き・・・もう戦争の話はいいや、という気分になり、昭和のヒットソングを片っ端から歌った(^ ^)

ピアノ伴奏で、グループサウンズ、ニューミュージック、歌謡曲、ヒーローものTVドラマ主題歌・・・昔、学生の頃、遠足のバスの中で歌ったような曲たちを、一番だけどんどん休みなく、50曲くらい歌ったかな。その頃の思い出話に花が咲き、ワイワイ言いながら、歌詞表もなく皆覚えていて、大声で歌った。あっという間に1時間半が過ぎ、スッキリ気分で本当に楽しい時間だった。

帰り際「昭和歌謡の歌声喫茶、またやってくださーい!!!」とか、「発声と朗読の会やってください」とか、新しいニーズが出て来た。
翌日参加者からメールも来た。
音楽はもちろんのことですが、朗読に心を打たれました。野坂の童話もよかったですし、来会の方のご家族の手記にも
涙が出ました。」
「ふだん黙読しかしたことがないのですが、声に出して読むのがどれだけ大切かを感じました。文章を体で納得できたのが嬉しかったです。声を出してみると、いまむらさんの声と抑揚がどれだけ素晴らしいか、あらためてわかりました。」
敗戦の日の前夜を有益に過ごせた。」
「良い企画だった。」

とても励まされる言葉を受け取りホッとしました。
新しい企画は迷いも多く、準備も底なし沼のようで確信もなく、胃痛になります。今回も直前に胃が痛みましたが、手応えがあり嬉しく、今後の礎になります。

参加してくれた皆さん、ありがとう。














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by imamusic | 2017-08-25 03:40 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

「戦争反対!」と・・・初めて叫んでいた、水曜の夜。   

8/9(水)は、自転車で自宅から15分弱の用賀駅前にある居酒屋ライブハウス「キンのツボ」、つまりは「地元」での馴染みの店の、隔月レギュラーライブだった。相棒ベーシストも多忙で来れず、久しぶりに弾き語りソロの自由を楽しんだ。
連日猛暑でうんざりの東京・・・しかし予想に反して席はある程度埋まっていた。高齢の方も、いやむしろ高齢だからか?暑さなど意に介さない平気の平左で元気・・・さすが昭和の生き方達人達だなー。

クラリネットやハーモニカを吹く人、ドラマーのダンディマン、ボーカル愛好家、声優さん、ジャズコーラスの皆さん、など芸達者も多く、1ステージ目のみ私の世界に集中したあと2ステージ目からどんどん入ってもらってセッションを楽しんだ。

Shoofiesは9/9のハートフルコンサートに全曲アカペラで歌うことにしたので、試しにそれをやってみた。美しい「Moon River」のハーモニーになった。ついにここまで来たかと感慨深い。コーラスの醍醐味はやはり無伴奏合唱だろう。

ラストステージでは私が加わって歌い出しメインソロを担当しShoofiesがバックコーラスをつけるところから始まる「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」を別のコーラスグループではソロを担当しているSさんと二人でソロを歌い、武器を川に捨てに行こう、と繰り返すこの反戦歌を、ドラムやクラリネットも加わり歌った。

Shoofiesのメンバー達は結構硬派な精神の持ち主もいる。彼女らとこの歌を歌う時は、何か強めの意思に後押しされて、私も少し積極的な気持ちになる。
そしてまたこの日は長崎の原爆投下72年目でもあり「長崎を世界で最後の被爆地に」という長崎発信の強い願いは、数日前にあった広島の原爆忌とはまた違った趣の、平和への祈りの日でもあった。シュプレヒコールというものに付いて行けない私には、日常の生活を大事にしながら戦争反対を心の中で唱える長崎の姿勢に身を委ねるとホッとする。ただ今年はカトリック長崎大司教区の高見大司教でさえ「祈るだけではダメ」「黙っていたら黙認していると思われますから」と核兵器廃絶署名運動に記名したそうだ。
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蝉の鳴く夏が佳境に入り、こんなに過ごしにくい蒸し風呂のような日本の夏を今年も私たちは体験しながら、戦争末期の人たちが同じ季節の中で味わった地獄に思いを馳せる。なんということか。彼らの痛みに私は到底手が届かない。

語ろうとしても上手くは語れないという人達が多いと聞く。だからあえて語らず、大切な人達の屍の意志を体内に取り込み、平和へとひたすら努力して立て直し、彼らの平和の象徴としての「戦後生まれの)私達の笑顔」を守り育むため黙々とやって来てくれた敗戦経験者の先人達・・・。
この年になるまで平和な世界しか知らない私には、その原因を突き止める義務がある。やろうと思えば出来る事があるならば、やらないのは罪に等しい、だろう。

そのような思いは、この日「ダウンバイザリバーサイド」を観客の皆さんと一緒に声を張り上げて唱和した辺りから、その客席の声の圧力に背中を押されるように私の心に勇気を植え付けた。8/9の平和宣言の意義を語りつつ、熱い想いのまま、立て続けに「IMAGINE」「虹の彼方に」「What A Wonderful World」を思い切り弾き語った。その都度、力強い賛同の拍手をいただき、気持ちは熱いままタイムリミットとなり「今日はこれでおしまい」との終演宣言への拍手の熱に押されるように「戦争反対!!!」とマイクで叫んでいた。

この私が。

「戦争反対!!!」と。

観客の熱意だけでなく、世界情勢の現況や、自らの年齢、今春からの新しい活動、その他様々な要因が、65歳の夏にして初めてこの言葉を正真正銘の自らの強い意志として発した。

実際の痛みがなくては「痛いことはやめて」とは言えない。怖い思いを実際にしなければ「怖いからそんなことするな」とは言えない。家族を失った悲しみを体験しなければ「父や母や子供達を奪うな」と最初から強く反発するのをためらうだろう。その隙に、手の中からするりするりといつのまにか何かが滑り堕ちていくはずだ。

今年、この言葉を叫べた事は、私の人生の中では大きな変化で、それは前進だと、一人で確信した。

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by imamusic | 2017-08-11 01:07 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

時の中で・・・平和への一歩を・・・音楽と絵とお話で・・・。   

8月6日、今日は広島に原爆が落とされてから72年。終戦後7年目に生まれた私のやるべき事は、今頃になって焦りとともに見えてきている。

今年4月に人生最後の活動開始の基地として開設した個人スタジオ「STUDIO GERA」で迎える初めての八月。忘れていた感覚が八月が近づくにつれ蘇り、初日の8/1を迎えた途端、突き動かされるように平和関連資料を調べ始めた。

世田谷公園内に数年前できた「世田谷平和資料館」へ行き見学し、会員になっている「長崎平和推進協会」の会報最新号を読み、図書館に行って私の立場・私の生き方に沿うような本を選んで借り読みあさった。

その結果、焦りは少し落ち着き、私のやれる事が見えてきた。
今年から8月はこの活動に力を入れたい。
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遅ればせながら、8月末には沖縄平和資料館にも行ってきます。












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by imamusic | 2017-08-06 11:27 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

いまむら直子公式ホームページ、移転のお知らせ。   

ミーンミーンミーンミーン、ジジジジジジと蝉の鳴き声が聞こえます。4月に転居して初めての夏。大きなケヤキの木が窓の外に五本あり建物は緑に覆われて、真夏の太陽の灼熱を樹木が栄養にするように吸い取って天然空調の涼しさを味わっています。入居前に何度も説明を受けた「パッシブシステム」の快適さ・・・都会の中に居ながら森の中にいるような、自然の恵みと共に生きる感覚を・・・この三ヶ月半の毎日、驚くほど素早く勢いよく茂っていった建物の周囲の緑のブラインドの生きる力に見ています。春から夏になると今までは駒沢公園や砧公園に行かなければ得られなかったような避暑@自宅です。

さて今日は、特に、私の活動予定スケジュールを私のホームページのカレンダーでチェックしていた方に、遅ればせながらホームページ移転のお知らせ。
そういう訳で、4月から音楽事務所「オフィス・ミストーン」の基地としての自宅付属スタジオ「STUDIO GERA」を開設し、ホームページも今後の活動を見据えて過去をかなり断捨離した新ホームページを構築、引っ越しました。
Webも現実も試行錯誤の引越し作業でしたが、5月の欧州ツアー、6月の北海道ツアーが終わり、少し落ち着いたので急ぎまとめ上げ、公表お知らせすることができます。
特にカレンダーリンクはお知らせの必要がありました。

私のホームページから直接リンクしていてすぐに見れていたGoogleカレンダーで活動日程・場所をチェックして人が結構多かった、と最近知ったのです。
指導している4つのコーラスのメンバーやグループボイストレーニングの参加者たちが既に連絡済みの練習日や変更日と場所の再確認をしたり、現在練習中の歌を生伴奏で歌ってみたいジャズボーカル愛好家の方で私のボーカルセッションライブに参加したいと思った人が自分の予定と照らし合わせながらセッション可能な日程の確認したり、ただ単に「今日は今村さん、どこで何をしてるのかな〜?」という興味で眺めてくれたり、久しぶりにライブに行ってあの歌声聴いてみようかな?とライブ日程場所を確認したり・・・。そういう人たちから最近、直接私に「あのー・・・カレンダーが見えないんですけど・・・」と困ったような顔で言われたりメールなどのメッセージが届いたりしていました。ありがたいことです。
質問された人にはその都度、新ホームページを作成中で、Googleカレンダーを上手く付けられず苦戦中な事を伝えました。数日前にどうにか付けられたので旧ホームページ(sound.jp/imamusic)を消去しました。

新しい公式ホームページは下記をクリックしてください。http://imamusic.orgです。
インターネットで検索する場合「いまむら直子」では以前のように公式ホームページが表示されません。「imamusic.org」と書くと下記の公式ホームページが最初に表示されるようです。

新しい公式ホームページも、今まで同様、応援よろしくお願い致します。



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by imamusic | 2017-07-27 12:13 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

Europe tour 2017-5.18-30 with Dixie Showcase 3   

It's now the last reported.
さて、最後の報告だ。

Japan season now, changes in the hot summer.
日本の季節はもう、暑い夏に変わった。

A sentimental mind was blown away in the summer sun.
センチメンタルな心は、夏の太陽に吹き飛ばされていった。

Memory is overwritten instead I know the news, sinking to the bottom of my heart.
新しいニュースを知る代わりに記憶が上書きされ、心の底に沈んで行く。

Its memory some day become a legend.
その記憶はいつしか伝説になっていく。

オランダのユトレヒト駅で待ち合わせた、我々デキシーショーケースの友人ウィリアムさんと、再会した。それから先は、彼のコーディネートによる「豊かなオランダの風土をゆっくり体験する五日間」だ。
マイクロバスのような10人乗り位の「TAXI」に乗り、どこまでも地平線が見える起伏のない土地オランダ南部の道を走る。広い農地や牧草地、その中に時々ポツリと見える本や写真でしか見た事がない美しい風車小屋、日照時間の長い昼間をのんびりくつろぐ牛や羊達、細い飛行機雲が時折伸びていく青い空…ふと地球以外の惑星に来たような感覚、そこで息をしている自分…その心を洗われるような違和感に全員が無言の感動を覚えていた。
五日間もあるんだから途中でパリにも行ってみようよ、と旅立つ前に提案していたメンバーを引き留めたウィリアムさんの真意がやっと実感出来た。

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なんでもないようなこの風景。日本のどこかにもあるような…だけど、ここはここなりの空の色、植物、人々、建物、生活、空気感がある。旅も終わりに近い自由時間に、マーズ川の土手をサイクリングした。太陽は熱くて強くて、タンクトップにジーンズの短パンにサングラスでノーメイクのポニーテールといういでたちだった。お陰でハワイ帰りのように腕も顔も焼けた。
が、実はまさにこの景色が、帰国後毎晩、寝入る直前にフラッシュバックしてまぶたに映っていた。眠る前に、ここ南オランダの、鳥の声や木立を吹き抜ける風の匂いや川のキラキラ光る水面の遠景、印象派絵画のような風景が、現実と天国の間のような透き通った幸せを連れて、東京の私の布団の上の私まで押し寄せる。
このヨーロッパツアーの最大の宝は、私にとってはこの風景だったのだ。
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私達は遠くまで続く山の無い平坦な土地オランダを自転車であちこち回った。
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近くの中世の街並みのお祭りにも行った。古い風車小屋が今も稼働していた。
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最終日は川辺のウイリアム邸の庭で、彼の大学時代のバンド友達も集まってデキシーショーケースとセッションを楽しんだ。バーベキューを楽しみ、彼の家の桟橋から川に出て泳いだり、カヌーやボートを楽しみ、芝生の庭にテントを張った臨時ステージや、どこかに飾られていたらしい90年前の大きなボートを借りてきて動かしそれに乗ってのセッション。これは全く信じられないサプライズで、他のどこにもない夢のセッションだった。
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音楽が与えてくれたこの幸せを、私達はあの世まで持っていく。










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by imamusic | 2017-07-18 17:15 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

Europe tour 2017-5.18-30 with Dixie Showcase 2   

After 3 weeks from the end of hot days, the rainy season has come here, in Japan.
あの熱い日々の終わりから3週間が過ぎ、そしてここ日本は、梅雨になった。

Gentle Rain always take away memory and feeling from us.
静かな雨はいつも、過去の記憶や想いを洗い流していく。

I wonder if we really went to that country like Gulliver's story,Holland?
私たちは本当にあのガリバー物語のような国、オランダへ行ったのだろうか?

And we played jazz with those giants in Holland?
そして、あの背の高いオランダの人達と一緒に、ジャズを演奏したのだろうか?

For the last 5 days, we enjoyed the scenery of southern Holland.
The third day, 5/26, we played at the Breda Jazz Festival.
旅の最後の五日間、私達はオランダの南部の風景を満喫した。
その3日目つまり5/26、私達はブレダ・ジャズ・フェスティバルで演奏することなった。

オランダ人の生物学者でトロンボーンのアマチュア演奏家でもあるウィリアムさんが、ここオランダでの世話人だ。5〜6年前から我が「デキシーショーケース」とは親交がある。彼が仕事で来日した時はトロンボーン持参で新宿トラッドジャズ・フェスティバルや赤羽のライブハウス「Bフラット」ライブにたびたび現れ、私達の演奏に加わった。そしていつも言っていた。「いつかオランダのブレダ・ジャズ・フェスティバルにおいでよ」と。私達もその気持ちは十分にあり「いつか行くよ」とは返しはしたが、ヨーロッパは遠く、メンバーたちには諸事情あり、実現不可能と思っていた。しかし、神様が与えてくれた、殆ど七夕の織姫と彦星の逢瀬のタイミングのような星の巡りの偶然と必然によって二度とない条件が揃い、おそらく生涯に一度と思えるこの旅を実行できたのだ。オーストリアのリンツから、TV番組「世界の車窓から」もどきの電車の長旅でドイツを丸々横切って、オランダのユトレヒト駅に着いた。迎えに来ていたウィリアムさんはあまりの感激に目が潤んで顔が紅潮していたが、その涙を見て、去年「ブレダ・ジャズ・フェスティバルに出演申し込みしようと思うんですけど、どうですか?」とバンマスの小出さんに声をかけた言い出しっぺの私は、本当に報われた気がして、胸がいっぱいになった。前半のスペインやオーストリアの世話人の方々も約1年ぶりの再会を心から感動し目一杯歓待してくれ、私達も信じられないような展開に心が踊り、幸せに浸った。しかし、ウィリアムさんとバンドとの心の絆は更に深い。用意してくれた宿(大きな部屋にたくさんベッドがある合宿所のようなB&B)や、最終日に訪れたウィリアム邸がある場所が、街から離れたのどかな田園地帯で牛や羊の方が人間より多く、そんな場所に「あちこち行かずゆっくりしなさい」と5日間のウィリアム流・オランダ流の夢の時間を計画してくれたのだ。コウノトリの巣が庭にありカエルが鳴く美しく整備された庭のある宿での緩やかな時間や、ほとんど自転車で回った数キロ四方のサイクリング散歩で見た伝統的な村の人々の祭りや古城や風車や河べりでの様子への感動・・・これらが私達にはたぶん、この2週間弱の旅での一番の至福の喜びと発見であったと思う。日本に居て想像していたヨーロッパ旅行、昔仕事で滞在した事のある人が想像していたヨーロッパとは全然違う。今回の旅は、このメンバーがこの年齢でこの年にこういう状況や条件の中敢行した、というところに、唯一無二の珠玉の価値がある。

それでもまずは、報告するのに分かりやすいので順序を変えてオランダ滞在三日目のブレダ・ジャズ・フェスティバルの時間から「続き」を載せます。
オランダ南部のブレダという小さな古い街で毎年開かれていて、日本では神戸ジャズ・ストリートと提携しているそうです。
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ブレダでの演奏終了後、演奏会場の前で記念撮影。この日の日没はなんと21:45頃。私達は18:00からのステージで20:00頃終了した。20:00過ぎてもまだ夕暮れ前という感じ。
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中央広場の特設ステージではウィリアムさんが所属するビッグバンドの演奏があった。
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私達と同じデキシースタイルのバンドはアンプラグドで路上ライブ。
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小さな川の橋を渡った先は学校の校庭を利用した野外ステージ広場。
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あちこち見て回りカフェで休憩の観客。このフェスは入場無料で自由。オランダでは車椅子に乗った人達が健常者と同じように外出を楽しんでいる。

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見物しながら歩いていたら、ビルの中庭にあるカフェから聞き慣れた音色とフレーズが聞こえてきた。おお〜! 我らのトランペッター下間晢さんだ。このフェスティバルの招聘ミュージシャンとして毎年東京から来て出演している花岡詠二さんのステージを見物に行った下間さんが、懇意の花岡さんから呼ばれて共演していた。どんな状況下でも、下間さんのトランペットは人々を間違いなく魅了する。


熱心に聞く私を見ていた隣席の金髪のオランダ人女性が「Your husband?」と聞くので「いやいや、あのトランペッターは私達のバンド仲間だ」と英語で返した。すると大喜びして急に仲良くなり、その後の私達の演奏をご主人と聞きに来てくれ、facebook友達にもなった。ロッテルダムから来た彼女はジャズが大好きで、それほど気乗りしてなさそうな寡黙なご主人を連れて一生懸命オランダ語で説明して居た素敵な夫人だった。

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その後、ウィリアムさんのトリオの演奏もこのカフェであり、下間さんと共にクラリネットの菅野さんも客席に居たのを呼ばれて、このステージに一曲参加した。
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我々が演奏するHijgend Hertという店の前に張り出されて居たプログラムに18:00からDixie Showcase(Japan)と書いてあった。
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18:00になった。出入り口の外でまず数曲演奏してから中のステージへ。広い窓があり外が見えテラス席もあるカフェ「Hijgend Hert」で、ブレダ・ジャズ・フェスティバルに初出演のデキシーショーケースが演奏。
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MC担当は、何故か、むちゃくちゃ英語の私。むちゃくちゃぶりで仲間が笑ってる。「私達は日本から初めてオランダに来た、多分これが最後で二度と来ない、何故なら私達は高齢なもので。今居合わせている人達はそんな場面に偶然出くわしてラッキーだ。だから今すぐ携帯電話で今言った事を友達や家族に伝えて、すぐにおいでよ、と誘って。滅多にない事だから。」とか「今からチャイナタウン・マイ・チャイナタウンを演奏するが、あなた達は中国人と日本人の見分けがつくかい?とてもよく似てるけど違うんだ。どこが?まあ目が細いよね、中国人は我々より…。ではバンジョーから。聞いてね!」みたいな事を、思いついたままにいつもの東京ライブと同じように、滅茶苦茶英語でやった訳です。でもその都度客席は笑い、伝わったようで嬉しく、「アリガトー」と叫んでくれる人も居た。
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オランダの一日は長い。街は時間を追うごとに音楽のるつぼになっていった。
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路上の賑やかなセッションに、私の横で見物していた菅野さんが、たまらずクラリネットのケースを開け楽器を組み立てる。お?!と期待の目が注がれる。何コーラス目かの終わり少し前に立ち上がり参加者に一礼してお辞儀する菅野さん、受け入れる演奏者達。心から愉快で楽しく、嬉しいひとときだった。
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フェスティバルは日没後も続き、だんだん演奏のジャンルは大音量のロックが多くなる。と共に背の高い若者達でごった返していく。左側の角の赤い外装の店の二階で打ち上げ(というか夕食)を食べ始めたのは22:00過ぎ。日が長いのでそういうスタイルなんだと、ようやく諦めがつき始めた私達。やっぱり日本人の生活サイクルとは違い・・・疲れました。
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宿に帰宅したのは日付変更の前後、夜中の0時頃だったにもかかわらず、日没後のこの明るさ(・・;) このくらいの時間になると、宿舎の庭の奥のコウノトリ巣にオス鳥が帰って来る。少し前からメス鳥が立ち上がり待っていて、突然どこからともなくバタバタッと帰還すると短い間けたたましい鳴き声でつがいの愛撫をしすぐに静かになる。まだ飛べない雛が巣の中にいるらしい。

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翌日はブレダから数キロ離れた静かな街の広場のようなオープンカフェ「Oncle Jean」で演奏。ツアー中ユニフォームを着て演奏する最後の場、という事で心地よい緊張感があった。
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マイク無し、生ピアノ、外気の中、木立のある広場・・・ここでの演奏は一番良かった。前夜かなり遅い時間に宿に帰ったが、ブレダでの演奏を録画していた為それをチェックするつもりで見始めたカメラ担当のバソコンを、「全員で演奏チェックしなさい」という指令がバンマスから出て、バンド始まって以来初の研究会モードになった。これに全員前向きで意欲的に参加して自分たちの演奏に向き合った、という流れがこの日の演奏に活きていた。画期的な出来事だ。今後のデキシー・ショーケースに期待したい。私も含めて。

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5/27(土)当ツアーでの「デキシーショーケース」ライブ最終回。スタッフ内2名(あと2名は写真撮影中)と、ウィリアムさんと、彼の大学時代からのバンド仲間の同級生と。

翌日はいよいよツアー最終日。川べりに建つウィリアム邸の庭や桟橋から川へ周遊したタグボートでのバーベキューパーティとセッションライブ。

(続く)



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by imamusic | 2017-06-20 14:43 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

美術館、図書館、本屋…私が自分を取り戻すのは、いつもここ。   

デキシーショーケースの皆さんとの欧州演奏旅行から帰国して半月が経ちました。
約二週間の間に時差ボケや旅行の興奮から各自差はありながらも少しずつ覚め、一週間後のライブでの再会、その5日後の東北支援チャリティライブと2回の馴染みの顔を眺め、いざ演奏してみると、不思議や不思議、旅行前とは全然違う。
私達は何か、先に進んだ感じがしました。その仕上がりを演奏しながら体感し、これはただ事ではない経験をしたもんだ、と改めて思いました。
その気持ちや変化と様々なミラクルの体感エピソードへの感動はスンナリとは伝わらず、どうしても本にして残したい、と思っていますが、そう言っている間に、レッスンや他のライブや日常生活に明け暮れ、ようやく今日6/16、昼間の長時間お休みとなり、手入れの怠った髪の毛をリフレッシュする為に、行きつけの用賀の美容院に行きました。
終了後、遅めのランチを駅ビルの蕎麦屋そじ坊で「カツ丼と月見ざる蕎麦定食」を食べ、食後の珈琲を気持ちよい場所で飲みたいと思い、結局大好きな砧公園の中の世田谷美術館まで来てしまいました。
いつもより女性や子供が多い館内…そうか。あの「はらぺこあおむし」の挿絵画家のエリック・カール展をやってるのでした。世田谷アーツカード会員割引で観れるけど…この絵たち…持って帰りたい!
先にミュージアムに行き、絵ハガキで好きな絵柄を9枚選んで買いました。もしかしたら挿絵というのは原画も案外小さいかもしれない。
9枚買ったらだいたい展覧会入場料金と同じくらいになりました。(しかし!パンフレットの裏には入場料金65歳以上は更に割引があると!おお!このシニア割引、これからあちこちでお目にかかるのね!嬉しい!)
それから、他の美術館のパンフレットや情報誌が置いてあるコーナーへ行きあれこれ物色。このパンフレットを見ているだけで刺激を受けます。タイトルや副題がまたキャッチャー!「創作の裏側」「カンヴァスの中の巨匠たち」「レコードと中野の暮らし」「東京慕情」「それぞれのふたり」「絵本とともに、あゆんだ道。」…………。私はこういう文字に、興奮するf^_^;
世田谷美術館の地下にあるカフェ「セタビ」のテラスのテーブルにパンフレットを並べ、この美しく品格があり自然と調和した建物を堪能しつつ、この建物が私が入学した都立青山高校の大先輩でもある内井昭蔵氏であること、実際の建築工事は卒業した高校のある大分県の佐伯建設が施行したことへの感慨にも浸りながら、ランチ後の珈琲をチビリチビリとやっていますf^_^;
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帰って来たぞ!世田谷へ!

(旅の報告は、またこの次に。)



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by imamusic | 2017-06-16 15:24 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

Europe tour 2017-5.18-30 with Dixie Showcase 1   

5 days have passed since I came back to Japan.
帰国してから5日経ちました。

When I returned to the ocean once again, we felt something of my cell changed.
一度渡った海を再び戻った時、私達は自分の細胞の何かが変わったのを感じました。

This trip was full of miracles.
今回の旅は奇跡に満ちていた。
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5/20(土)夜、スペインのサンクーガ「Pza Octavia」で、デキシーショーケース初の海外ライブ。
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観客の中には、サンクーガの女性市長も来ていたそうです。夕方から始まり日が暮れたら終わるかと思いきや、なかなか日が暮れない。日没は21時を過ぎていた。しかし街は人々がたくさんいて、音楽への理解が日本とは大きく違っていた。MCは私の下手な英語でいつものようにすすみ、用意していったスペイン民謡「ラ・パロマ」を歌ったら年配の観客が唱和し大変喜ばれた。終演後の打ち上げパーティーをして宿に帰ったのは日付を越えた午前様。
この日はその前の昼間、現地の世話人で今回ツアー代表の友人エスコーダさんの自宅テラスにてエスコーダさんの交通事故快気祝いランチパーティーを行なった。多くの友人が集まって演奏した後、この広場で演奏。長い長い1日だった。前日は日本の観光ルートでは殆ど行かないといわれるモンセラート修道院へ。

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スペインに3泊した21日朝は移動が早く、睡眠時間は数時間、荷造りもあり殆ど寝ないで明け方未明の4:30に宿を出発。エスコーダ夫妻の運転のレンタカーに分乗し空港へ。アムステルダム空港乗り換えでウィーンへ。なるべく経費を浮かそうと、大きな重い荷物を引っ張って空港前のバス停から路線バスに乗って1時間くらい。ウィーン西駅へ。この移動はチョット大変。西駅駅前のバス停に着いてもホテルが見つからず全員でウロウロ歩行。やっと見つけて16:00頃ホテル入り。その後みんなはウィーン観光。私と数人はこの晩ワーグナーの名オペラの最終日だというのでネットで予約していたが、ふと見ると開演が17:00と遅ればせながら確認し、慌てて着替えもそこそこにタクシーでウィーン歌劇場に。超ギリセーフ。
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今回は前から5列目の素晴らしい席で、演奏も間近に見れ、オペラの仕上がりは最高だった。10年位前にこの劇場に来た時は残席やキャンセル待ちで朝から並ぶとある程度の人数がたったの500円位で入れる立ち見席があり、2公演それで観た記憶がある。この写真の右側の柵の右側にいる人たちだ。あの時は早めに入れて柵の真ん前で観覧した。今回の席と随分環境が違うが熱中してしまうので疲れは同じ。ただオケに近いのが素晴らしい!終演後は劇場内のカフェでお茶と歓談。
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翌日はホテルの目の前のウィーン西駅から電車でオーストリア郊外の産業の街リンツに移動。ウィーンとは全く違う、(なんというか川崎みたいな?)その中の有名なリンツ大学の学生寮の一部へ宿泊。ツアー代表の友人で数学博士のブルーノ先生がマネージメントしてくれたリンツのライブは、在オーストリア日本大使館の助成金を得た国際交流コンサートとして、大使館のホームページや前日のリンツ新聞にも大きく取り上げられた。まずはブルーノ夫人の道案内でリンツの旧市街を散策。

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その後ブルーノ先生の発案で観客動員の為の「ハメルーンの笛吹き作戦」。街を演奏行進し、客を引き連れ、会場へf^_^;
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デキシーショーケース、オーストリア・日本交流コンサートの始まり。
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用意していった「エーデルワイス」を博士のギター伴奏で夫人と共に歌った。会場の皆さんも一緒に。日本勢のクラリネットとバイオリンも。こういうのはなかなか受けがいい。
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ハメルーン作戦で集まった観客達f^_^;
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現地のデキシーバンドとのコラボ。
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この後、オランダへ行った。前半はスペインが3泊、オーストリアが3泊。後半は南オランダの田舎に5泊だ。

(続く)

(鈴木俊夫撮影)

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by imamusic | 2017-06-04 17:35 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

成人式…45年前のあの日は、同級生と学科の宿題に夢中だった。   

以前は1/15が成人式と決まっていた。最近はどういう設定だったっけ?第二月曜日なの?何度か、その設定が変えられた気がするんだけれど。ま、今日、2017年1月9日(月祝)は、今年の成人式だ。

東京は雨が降ってます。庭の山茶花の赤い方の花が咲き始めている。
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各地域でセレモニーがあるよね。学生は戸籍(住民票?)のある土地に里帰りする人もいるね。
45年前の私は、というと…住民票は、父が国家公務員で任地が国内のあちこちに2年毎に移動するので、あの時は両親はどこに住んでたかなぁ?よーく思い出さないとわからない。もしかしたら岐阜、いや、静岡、かな?その辺だった気がする。

でも、大学の演劇科の2年生という年は、頭の中はお芝居の事でいっぱいだった。毎週出される宿題は演劇科ならではの色々。日舞や狂言は先週やったお稽古内容を何度も練習して覚えておかないといけない。演技レッスンの「ことば」の課題もある時はある。だけれどあの頃の桐朋学園大演劇科の学生の頭を悩ます宿題は、何と言っても「うごき」の演技レッスン、ヤスさん(大橋也寸先生)の宿題だった。ヤスさんはフランスのピーターブルックの所で学んできたものを私達に提供してくれた。高校演劇ではスタニフラフスキーのやり方しか知らなかった。ヤスさんの前衛と言われるやり方にはみんなが戸惑い、彼女の容赦ない言葉に悩まされ(怯え?f^_^;)、毎日のように、ヤスさんの笑顔を自分達の演技で勝ち取りたいものだ、という思いでいっぱいだった。
宿題は一週間毎に出され、大抵、グループで即興芝居を作ってくる。成人式のある週は2人組の課題だったのか、私は同級生の森田秀君と組んで、成人式が祝日だという事もお構いなしに登校し、まだ桐朋の幼稚園を改築した実習室の廊下で、2人で名案が浮かばす頭を抱えながら「今日はさぁ〜、成人式だよね〜」「世の中、そーだよね〜」と、言いながら、必死になっていた。

それを、毎年、成人式を迎えると、ほんわりと懐かしく思い出す。

森田君は一度は文学座に行き役者の道にはいったけど、今は大阪府和泉市で鍼灸師の病院を継いで立派にやっている。
私が和泉市の大阪府立弥生文化博物館でボランティアのロビーライブをするのは、森田君が還暦同窓会で「ゲラ!久しぶりだなあ!なになに?ジャズピアニストになって頑張ってるんだ!うちの近くでもやってよ」という、このひと言で動いている。

思えば、各地の同級生の応援の思いに応えようとしてやっている音楽活動が、とても多い。

今年も。

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正月7日は過ぎたけど勿体なくて玄関に飾ったままの正月飾り。(去年のも捨てられず二つあるf^_^;)左のお花は、正月飾りを買った近所の花屋の女将がプレゼントにくれたんだ(*^_^*))





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by imamusic | 2017-01-09 10:03 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)