今日は、広島に原爆が落とされた日   

今日8月6日は、63回目の原爆記念日。
恥ずかしながら、私は今年、初めて原爆・核兵器廃絶・平和という問題に、真正面に向き合えるようになっている。
戦後生まれの私だが、引揚者の父母たちは割りと戦争体験を子供の頃から語ってくれていた方だと思う。そんな下地があって2002年にはミュージカル「ダルニー・ラプソディー(大連慕情)」を書くという心の中の「種」があった。しかし、戦争の実体験もなく、「平和の為の運動」というような強い心構えは無かった。むしろ長い間心をとらえていたものは、息子達やその友人と後輩達という「現代っ子達」が抱える心の問題と、彼らと共に考える「生きる事の意味」だった。
息子達も成人し、計らずも元パートナーが約5年間の闘病の末、去年暮れに突然亡くなり、生き残っている自分、という物差しが心の中に追加され、縁あって「昭和ジャズ」をテーマに音楽活動を始めて戦争体験世代の方々とのおしゃべりを持つ機会が増え、今まで見えなかったものが見え始めてきた。

太陽が地表から数百メートル近くまで近づいたのと同じという信じられないような高温の熱線・風圧・放射能などを浴びた広島・長崎の原爆、人類史上初のその惨状を、今日はインターネットでたくさん読み、写真も観た。
来月12日に私が主催する上用賀アートホールでのフリーコンサートは、最初「グラウンドゼロから~千の風・千の歌を~」と副題をつけていた。音楽仲間のそのまた仲間・庄野真代さんが、ニューヨークで2002年9/11始まった「セプテンバーコンサート」の日本からの発信として東京で2005年スタートした「セプテンバーコンサートJP」に賛同したものなので、2001年の同時多発テロをきっかけに人々が「平和」への想いを託して集まったのが最初だと知り、それならばと浅はかにもそう書いてしまった。
しかし調べてみると「グラウンドゼロ」とはニューヨークの世界貿易センタービル跡地の事よりももっと前、広島・長崎の原爆の爆心地の事を言うらしく、この言葉使いに関して問題にもなっていた時期もあったようだ。自分の無知さを恥じて即座に削除し、記念日の今日は改めて原爆について目を向けた。
もう63年も経ったというのに、この強く哀しい胸の痛みはなんだろう?日本人でありながら広島や長崎、そして戦争による日本の中の様々なことに気づかず、他国アメリカの、しかもつい最近の悲しみから「平和」を唱えるような、筋の違う音楽会を企画してしまった後になって、ようやく身内の国内の痛みを知ることが出来、どうしたものだろうか・・・と悶々としているうちに、昨夜行ったライブ会場で隣り合わせに座った20才の女の子の無垢な笑顔が浮かんだ。
まあ、どんなきっかけだっていいじゃないか。平和は過去の人達の為にあるんじゃない。彼女や・・・そう、何代目かの「新人類」の彼女は、ギター弾き語りのライブを観に、なんと浴衣と下駄で来た!・・・息子達の世代、彼らは私よりも戦争の事なんか知らないのだよ。無頓着・無知という共通項を持つ者として勘弁してもらって、少しでも長く生きていて知っている事・気づいた事があれば、得意の「音楽」を使って一緒に勉強したらいいさ。
今年だけで原爆による後遺症で新たに亡くなった人は5000余人とか。合掌。
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by imamusic | 2008-08-06 21:10 | 日々徒然 | Trackback | Comments(5)

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Commented by NEXT at 2008-08-07 00:14 x
 私の父の母と姉が、広島の原爆死没者です。
今年の3月に亡くなった私の母は、原爆が投下された当日市内から30km位離れた所に疎開していたそうですが、3日後に市内に入り、親戚や知り合いを捜し歩いたそうです。(しかし不幸中の幸いで、所謂白血病等の原爆症は、発症せずに天寿を全うしました。)
8/16-17日にと広島に行き、墓参りをして来ます。
Commented by GERA at 2008-08-07 02:13 x
NEXTさん

そうでしたか・・・。言葉がありません。
NEXTさんは、たくさんの事を見たり聞いたりしてこられたんですね。
喪中でもあられたんだ。初盆ですね。3日後に市内に入ったのに発症しなかったのは幸せでしたね。合掌。
Commented by houtoku at 2008-08-07 02:58 x
私も「グラウンドゼロ」の本当の意味を知らなかった。

幸いにも父母の兄弟で戦争でなくなった人はいない。
兵隊として南方には行っているが・・・

原爆死没者に合掌。
Commented by GERA at 2008-08-07 15:31 x
昨日はニュースを読もうとしてネット内を探していたら、寺尾さんという方の体験手記のページが検索の上のほうに紹介されていたので読みました。それを読むと、大分は投下リストのひとつだったそうですね。。重要な何かがあったとかで。寺尾さんという方は、広島出身らしいけど、戦後ずっと大分県の学校の先生をされていたようです。
Commented by NEXT at 2008-08-07 23:18 x
  母の初盆の法要は、先日自宅近くの同じ宗派のお寺で済ませました。(宗派は浄土真宗大谷派で、広島のお寺も原爆にあっています。お寺から爆心地迄わずか2kmの至近距離です。そのため、墓石が倒壊。本堂も焼失したそうです。)
  3月に亡くなった母(大正8年生まれで89歳)は、関東大震災(大正12年9月)と東京大空襲(昭和20年3月)を東京(六本木の東京ミッドタウン辺りに住んでいた)で体験し、広島の原爆(昭和20年8月)も知っていました。(3日後に市内に入る)
  父は兵隊で支那(中国)に行っていたので、原爆の事は敗戦後翌年3月に帰還する迄詳しくは知らなかった様です。父は、父の父(私の祖父)が戦前(父が小学生だった頃)に病死し、お母さんに育てられました。
また弟がいた様ですが、支那(中国)に兵隊で行っている時に病死したそうです。と言う訳で父が日本に戻って来た時は、親兄弟ともいなくなっていた訳で、親戚の助けを借りながら就職し戦後の復興に貢献した様です。昭和22年に結婚し、翌年私が生まれました。
いずれにしろ、大変な時代でした。

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