「詩人の生涯」の台本に目を通してます。発見は年取った喜びのひとつ。   

数年前、大学の恩師の告別式で久しぶりに会った先輩から「ゲラ、芝居の音楽、頼んだら作ってもらえる?」と言われ、そりゃあもちろん!と返事をした。今年になってようやく連絡が来た。5月上旬に台本を渡された。
一度サッと目を通して、机の上に置いたまま、又は鞄の中に忍ばせながら、多忙にて1ヶ月半も放ってあった。流石にそろそろヤバい。

で、今週からやり始めよう、と…一昨日の水曜日時間をたっぷり空け、まずは楽譜なんやら多種多様な書類の散らばった部屋をカテゴリー別に分けて整理整頓し片付け、ついでに庭も大掃除し枯れた花壇に花屋に走って買いに行き花を植え、掃除機でフローリングのレッスン室を綺麗に掃除し、シンセサイザーの埃を払って電源を入れ、何も乗って無い脇テーブルをその横に置き、鉛筆を何本か研いで五線紙の横に揃え、おもむろに、台本を開いた。

安部公房の「詩人の生涯」。
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気合を入れすぎたか…5頁くらい読んだら急に眠くなり、気分転換に夕方風呂に入り、それでも5頁で強烈な印象が頭の中を巡り始める。風呂から出て、籐の椅子の上でなんとなく居眠りしながらも、本の中の貧しい39才だっかの若い老婆が糸を紡いでいて糸が無くなりかける頃彼女も眠り始めたんだったかな、糸車は回り続け、糸が無くなったら彼女の指先が続いて紡がれ、とうとう彼女は糸になってしまう。糸車の下に眠っていた印刷工の息子がふと目を覚ましその最後を見たような気がして「あれ?」と思い、よくわからないからまた寝てしまう。翌朝その糸は隣の女が取りに来てジャケットに編んでしまう………。それを売るのに町の人達はジャケットが居るのに金が無い、息子は時々登場してそのジャケットは売るべきじゃあ無い、とはいうものの、売らなければ生活ができない隣の女の意見も最もだと思う。しかし売れずに生暖かい老婆のジャケットは質屋に売られる………。
その辺りまでその日は読んだんだ。

不思議な話だ。そしてやっぱり、安部公房は安部公房だ。あの安部公房スタジオの公演、在校中は殆ど観に行ったんじゃなかったかな?

詩のようでいて、やはり役があり、物語があり…でも、他の台本より音楽のように五感に響く。難解と思っていた「詩人の生涯」が、今では頭でなく何かもっと深いところで共感する。

そして金曜日の今日。仕事は自宅でのレコーディングだけで余裕もあり、またその先を読み続け最後まで読んだ。

不思議な事に全く見えなかったカラクリが突然見えてきた。何もアジテートしたりしてないのに、抽象的なイメージの言葉の全てに具象的な言いたいことの情熱が乗っていて、言葉の言い回しに時の流れは感じても世界観は時空を超えて響く。
その発見の喜びに1人浸って21:30頃読み終わった。

若い老婆の息子…くたびれて精神の火が消えたようなボンヤリした労働者の息子が、異常気象でカミソリのように冷たくて固い雪がたくさん降ったお陰で雀でさえ飛べずに落ちてしまい街は凍死者だらけになり世も末になった世界を救うことになる。生き物なんかいないはずの街にネズミが走り回る。それは老婆のジャケットがある質屋に住んでいたネズミ。ネズミが巣を作ろうと材料を探し生暖かいジャケットに食いつくと、老婆の血液が滲み出てジャケットは空中を泳ぎ雪を溶かしながら滑っていって息子を包む。凍死者たちは生き返り、雪の言葉を書かなくては!と息子は全ての言葉を書くと息子は雪の中に吸い込まれていく。これが物語の最後だけれど、鬱屈した最初と違ってそこには希望や勇気や未来が見えて、生きるということも見えて、何か清々しい。

読み終わり、なんとなく、あの息子は筆者そのものかな?と思い当たった。そしてまた風呂に入り、出てきてふと、いやいや「詩人の生涯」の詩人も、つまりは安部公房なのかも。彼はそこに自分を託したのかも。

そう思えた自分。それが嬉しかった。年をとる喜びはこういう発見に至った時!

台本というのは普通の本と違って同じ本を何度も何度も読む。何十年ぶりかに又は読むチャンスもある。ブレヒトの「セチュアンの善人」もそうだったが、作者の年齢はとうに超えてるのに、新しい発見や学びがある。リアルタイムで何かが響く。

そして、台本に付ける音楽は(この仕事こそ何十年間やってきた事だけど)、名曲を書くという感じではなく、まずは台本に親しむ、その中に住む、そして聞こえてくるものを書く。結果的に曲として好評だった曲もあるが、歯車のひとつという意識で書くから、消費している感じで、私は殆ど覚えていない。演劇の音楽はそれがちょうどいいバランス。こういう時の私の意識は、音楽家が書く作曲ではなく、演劇人が書く作曲なんだろなぁ。
チームの一員で仕事をしている喜びがあって、好きだなぁ、やっぱり。

「詩人の生涯」…在学中に同級生たちで違うチームが試演会でやった記憶がある、講堂で。今読んでみたら急に距離が縮まりとても好きになった。
あの時、私達のチームは確か山内先生のオリジナル台本「零の地点」だった。音楽担当もした記憶。






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by imamusic | 2016-06-24 23:06 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

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