九州の山間にある廃校利用美術館で出会った自分。   

何の目的で、こんな山里の美術館に来てしまったのか…とにかくそこは、不思議な場所だった。

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来年は終戦70年、だのに私はその重みを身を以て知らない。ざわめいている気持ちを整理したくて、来年にならないうちに、まずは長崎に行かなければ、とずっと思っていた。
特に、東日本大震災を東京で体験し後に起こった福島の原発事故、それはこれからの生き方の選択を個人として決めなければならないという、今までにない状況だと思った。
しかし、真実を伝え何をどう先に進めたら良いかという情報の出方が幾通りもあり、学園紛争時代を経験した都立高校の先輩が(原発反対デモで)「金曜日は議事堂に行くんだ!署名してよ!」と言うけれど、簡単には乗れない。バンド仲間の先輩の中には原発自体を作った某有名会社に一生を捧げて退役した人もいる。コーラス仲間の一人は現政権の官僚の奥様もいるし、同窓会に頻繁に現れる人の良い同窓生は国を良くしようとして一生懸命頑張っている内閣の重要ポストにいる人もいる。

作ってしまって、それを東京人は散々使って生きてきて、原発誘致で貧困地域の人々を救ってきた流れをスパッと切って、明日から日の出から日没の生活にしようじゃないか、と言ってもすぐには無理だよ。
原発の平和利用は、壊滅的な敗戦の痛手からの奇跡的な復興に一役をかったんじゃないの?
でも、じゃあ今、原発再開でいいか?
…消極的かもしれないけど、個人単位でできることは、もう「たたかいはやめて平和に」という事よりも「自然との共生生活へ」が一番大事、という気がする。

少しずつ、そんな気持ちになり、9月のハートフルコンサートのテーマは一昨年から「自然との共生」という分かりにくいテーマにした。2006年から野尻湖や北海道の山の自然の中での野外ライブを始めて、東京暮らしオンリーだった私が、地方の人達の生き方や考え方感じ方に触れ、目が覚めてきたのと繋がった。

しかし、何故分かりにくい言葉しか見つからないのか?私の性格?…もどかしさと勉強不足を感じ、新しく起こった原発事故と共通する放射能問題で被爆国の歴史をインターネットや本でなく、現場に行って自分の目や足で感じて来たい、と思い、8月末、長崎に行った。(広島でなく長崎にしたのは、父の田舎の隠れキリシタン「今村教会」の建物が原爆被曝の長崎浦上旧天主堂と同じ設計だという縁を感じたから。)


長崎への道中に亡き父の墓(福岡県三井郡太刀洗)があるので立ち寄ろうと、何気なく太刀洗町のホームページを見たら、今まで無かった「太刀洗平和記念館」というのができていた。で、もちろんそこにも訪れたが行く前に東京の下北沢でのランチタイムコンサートで「その平和記念館は確か、渕上さんという人がやっている、渕上レコーディングスタジオで僕はレコーディングしたことがある」と相棒ベーシストの山村さんが言うのでビックリし、更に調べたら、公立の平和記念館ができる前、渕上さんが長年、甘木鉄道の「太刀洗駅」駅舎を使って私設平和記念館をやっていたらしい。現在は昭和時代の素晴らしい生活コレクションを並べた「レトロステーション」となっている。しかしこの場所が貴重なのは、駅のホームに向かう地下道の存在だ。駅はとても小さくいわゆる田舎の単線鉄道の駅なのだが、戦争中は日に1〜2万人の乗降客があり、地下道を通って戦地に向かった太刀洗飛行場(空襲で壊滅)の学生少年飛行兵達が通って行ったそうだ。あとで共星の里にてその話を聞いたのだが、渕上さんは何気無く知覧へ旅行に行った時、特攻隊基地で有名な知覧飛行場が郷里の太刀洗飛行場の分校だったと知り、飛行兵らの国を守るという意志と尊い犠牲の上に現在の平和があるのだと実感して、それ以来郷里の朝倉の山々に点在するたくさんのお地蔵さんへ毎朝巡礼しているのだそうだ。今も。旧平和記念館はその供養の気持が中心にあったが、2009年に出来た公共平和記念館は英霊へのレクイエムが欠けている、との話だった…。
8月訪問時には「レトロステーション」で渕上さんにも会い、次回は渕上レコーディングスタジオのある山奥の美術館と音楽館に行ってみよう、と思った。

その「次回」というのが、10/9木曜だった。甘木インター高速バス停留所まで車で迎えに来てもらい、福岡市内方面に少し行って山奥に入っていく、今回も親戚のSちゃんのお世話になり車で連れて行ってもらった。

途中、道路以外は木々ばかりの山道になり、暗くなると危険だと思わざるを得ない景色、蛍の里と言われる寺内ダムをグルッと回って行くと、急に昭和初期のような家並みの小さな村に着いた。と思うと脇に小さく「共星の里」と看板があり、分け入ってみると、旧黒川小学校廃校利用山里美術館が、あった!
自然や村に溶け込んでいて、東京のイベント会場のように風景から飛び出して宣伝するような風情が全くない。
まず駐車場で前衛美術家で館長の柳和暢さんと出会い、中を取り仕切っているような感じの女性(柳さんからはエッちゃんと呼ばれていた)と会う。エッちゃんは知的で美しく厳しく優しい人だが、この方が渕上さんの娘さん、山村さんのレコーディングに付き合ったとのこと。

この美術館は、深山の重なる山々や樹木が窓から見える中に、前衛彫刻がある。

写真では全く伝わらないが、このロケーションが凄い!(語彙不足…うまく言えないけど)。

山々のエネルギーに負けない作品でないと置けない、とエッちゃんが言っていた。作品を見ているうちに、胃腸の具合が数ヶ月悪くて下痢続きで、グッタリ背後に沈み込んでいた自分の胃袋が何故か前に持ち上がり立ち上がってきて、頭デッカチの前へ前へ行く私の意識に胴体がやっと繋がり、シャンとした。不思議だ!

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この廃校美術館は、東京と違って監視員も居ないし、ユルユルでありながら、緊張感もすごく、とうてい作品にも、そして館内にも、カメラは向けてはダメ、という意識が働いた。作品や作者、そして建物自体に良い意味での著作権が紙や法律でなく、存在していた。

各教室に一人の作家の記念室のようなのがいくつかあり、それぞれがとても興味深かったが、大分出身の前衛芸術家・風倉匠さんという人の部屋があり、ピアノの部品ばかりで作った作品が展示されていた。この館内で、彼のテーマの「ピアノを打つ」というパフォーマンスが数年前にあり、ピアノを叩き壊した後、それを使っていくつかの作品にしたのだそうだ。
急に、以前我が家にあった愛用のグランドピアノを、家庭崩壊に伴い家を売った時、中にネズミが死んでいたという理由だけで保管先のピアノ工場で叩き壊されてしまった事を思い出し、胸が痛み、パフォーマンスを見なくて良かったと思った。

インターネットやFacebookで「共星の里」の情報は見ていたけれど、来てみたら全く違っていた。その感想を書こうと思っても上手く書けない。良し悪しだけでは書ききれないし、すぐには結論が出ない。ある種の拒否感や距離感もあり、もう少し思慮を深めて受け入れる部分もあり、素直に作品を観れば確かに素直に肯定的になれ幸せになれる、それら全て含めて、作品や建物やスタッフの生き方を通し、自分と向き合うところなのだろう。
同行のSちゃんは「癒されました〜。帰ったら旦那様にもっと優しくしようと思いました。」と言っていた。

翌日はまた甘木インターから大分自動車道を通って高速バス「とよのくに」で大分に戻り、同窓会に出席するのだが、仲の良い同級生達に「共星の里」での体験を話したら「いっぺん皆で行かんといけんなぁ、そこは」と言われた。

しかし一週間経った今も、この週末三日間の中で、この美術館での「よくわからない」部分が強烈で、いまだに自問し発見し続けている。

良かったことは、共星の里、父の田舎の太刀洗、同窓会があった大分、の三日間で、下痢が完全に治ってしまった事だ。空気だろうか?水だろうか?

帰京して数日間は調子良かったがまた一昨日あたりから慢性的な下痢になった。薬はあまり効果がない。
ふと気になって、今日「東京 汚染 被曝 下痢」とパソコンの検索窓に書いてクリックしてみたら…!
もしかしたらこの下痢は、福島原発事故の影響で降り続けていると言われる東京での低線量被曝を受け続け、粘膜が弱く胃腸も昔から弱いアトピー体質の私は、モロに表出してるのかもしれない。そういう情報はテレビや新聞では出てこなくてインターネットに書かれている。情報の信憑性がますますわからない。しかし、下痢は……。

そういう東京にいるからこそ危機感を感じる原発問題。しかし九州では「ん?ナニ?」というくらい遠い出来事だ。
阪神の地震の時、我々都民はピンと来なかったが…。

もしかしたら、そのうち、大分を本拠地にする時が来るかも……。私の故郷は今や東京、と言えるけど。
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by imamusic | 2014-10-17 14:30 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

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