DNAが呼ぶ「大連」ひとり旅 No.1 初日(2013.12.30)   

自分のルーツ探し「今でしょ!」という、大連4日間年越しひとり旅に行ってきました。2013年12月30日~2014年1月2日。

インターネットで調べてExpediaという格安旅行会社の成田→大連直行Jal便と市内中心部の3.5星ホテル大連リーワンビジネスホテル3泊(合計54,221円)。
実はこんな寒い時期、有名なアカシア並木も葉が落ちていて観光的には閑散期だったそうですが、私としては暇なのは年末年始くらいしかない。「年越しの心機一転」「還暦後の新しい展望の大事な布石」…!!!…などと煮詰まっての、海外一人旅初挑戦でした。

3日目には奇跡も起こりました。いや、2日目も奇跡だったかもしれない。
そしてまず最初に紹介するこの初日は、それこそ、芥川龍之介の「河童」、オズの魔法使いの「黄色い街」、ハリーポッターのあの異界の街、どらえもんか何かの地球と同じ裏返しの惑星の町、などのような不思議世界へ迷い込んだ冒険者のような印象でした。
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ここは、天津街(旧浪速町・・・ここで書く旧とは、戦前20万人の日本人が住んでいた時の呼び名です)。大連駅に近い繁華街。

どの道もどの建物も、地球上の他の都市・町と違うのは、そこが母や父が住んでいた街、友達や家族や多くの人たちと彼らが生きた街、建物も道も、私のDNAの中に埋もれている場所だという事です。

成田から数時間の飛行機、LCC時代にさすがJALだけあって、短時間でも見事な機内食が出ました。富士山が真っ白で美しく、北朝鮮の上を通過した後、赤い線入りの漁船が眼下にたくさん見え始め、いよいよ中国だ!ワクワクし始めた矢先、大連の街一体が濃い灰色の大気に覆われているのを見て一気に現実を知りました。広大な中国の中で産業特区に指定され、工場の煙もお構い無しにあちこちからモクモク出ています。何十年か前の川崎を思わず思い出しました。

空港に降り、タクシー乗り場に移動する間に中国人の兄さん達がドッと何かの勧誘をしに大声で話しかけてきましたが、無視!
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なんとかタクシーに乗ったけど英語は全く通じない。中国語のみ(写真はタクシー内から見た飛行場ビル)。
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こちらは中国語と言えば「謝謝」しか知りません。通じないだろうけど、とにかく全部適当に英語でかます。交通は烈しくみんな乱暴な運転で、運転手も相当に威勢いい。15分くらいでホテルに着く。リーワンビジネスホテル(中国語では麗月湾商務酒店!)。タクシー代は30元弱(1元は約15円)、距離は10km前後。
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iPhoneのsiliを使った翻訳アプリで日本語→中国語に変換してフロントのお姉さんと話そうと思ったら、いつの間にかiPhoneが日本語バージョンじゃなく英語バージョン?になってる。中国に入ったとたん、auも中国モードになった。仕方なくじかに英語で話してみる。何回か通じないし、向こうの下手な英語もよくわからない。で、今度は翻訳機に向かって英語→中国語を試みる・・・なんと「あなたの英語がわかりません」と英語表示。で発音に気をつけてiPhoneのsiliに喋ってみたら、変換が出る前にお姉さんが「あー、そういうことね」と英語で返した。つまり私の発音が悪かったわけだ。。。汗。

そんなこんなで部屋のキーをもらいデポジット300元をフロントに払う。部屋はまあまあかな。広い!バスタブなしでシャワーのみ。私はそういうのは全然構わない。一人遊びが好きなタイプなので一人でホテルに泊まるのはとても気分がいい。しかし最上階の7階で廊下が薄暗く一番遠いのがちょっと気になる。ネットの情報通り着いたとたんに電話が鳴り女性の声で「Can I help you?」。マッサージのことでしょ?もちろん断った。まだまだ午後も半ば、もったいないので散歩して写真を撮りたいと思ったら、何故かさっきまで持っていた眼鏡が紛失!!これは参った!30分以上も探しに探し、夜にはフロントも巻き込んで「無くなった」と訴えたが、実は、リュックの一番底に翌日見つけたのだった・・・。

眼鏡なしの旅行か・・・、と覚悟を決め、外に出る。
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ここは人民路(旧山縣通り)という大通り。この街は帝政ロシアがパリのエトワール広場と放射状の街を模して作った巨大な芸術品だ。真ん中の広場もそう。その中山広場(旧大広場)に向かって歩いた。
渋谷から青山劇場までの距離くらいかな、そんな感じで、着いた。これがその広場か。
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有名な旧大和ホテル。今は銀行・・・だったかな。すごい建物。
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ロシア人と日露戦争後の日本の満鉄が建てた芸術的な建物、そして町並み、今は規制されていて中国なのに自転車も一台も走っていない。車と言えば高級な大きな乗用車ばかり。ここ一帯は、作りこまれたエリア、とはいうものの、そのエネルギーや人材、経済力などに圧倒される。スケールが日本とは雲泥の差だ。そしてここは、地球上のどこの都市とも違う。ただの観光地、だけでは済まされない。

さあ、日没前にもう少し歩いてみよう。中山広場をつっきって、母が住んでいたロシア街の方へ歩いて行った。

つづく。
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by imamusic | 2014-01-06 17:38 | 日々徒然 | Trackback | Comments(3)

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Commented by ジュリアン at 2014-01-07 18:30 x
やっぱりGERAさんは、本を書くべき!と思いました。
お話が面白くて、どんどん引き込まれます。写真もよく撮れていて…
つづく で終わってがっかり。続きが楽しみです。
Commented by imamusic at 2014-01-10 09:22
まあジュリアンさん、大げさな。ジュリアンさんが感受性の深い人だから、私のひとりよがりな隠し味を全部嗅ぎ取って感動してくれる。とっても嬉しいです。ありがとう。でもそう言えば過去にもそんな事を言ってくれる人が何人かいました。しかしまた母は、本当に美しい人(女性)は、巷にひっそりと普通に生きている、と言っていました。本を書く、という、つまり出版したりたくさんの不特定多数の知らない方に読んでもらう、という事の喜びを知りません。ブログに書くという事はある程度顔が見える気もするし本にするより書いてそのまま命と共に消える感じがするのでよし。誰かが気がついてまとめて本にしてくれればそれはそれで嬉しいけど。でも、この話、面白いらしく、読者人数が通常の10倍以上います。大連の話を書き始めてからすでにのべ500人くらいのアクセスが管理画面で表示されてる・・・。どこでどう検索されてたどりつくのか?・・・不思議。まあ、つづきを楽しみにお待ちくださいませ。
Commented by ジュリアン at 2014-01-10 18:18 x
そうですね~(^_^;)
今は、本を出さなくても他の手段で簡単に皆の目に触れることができる時代ですものね。
ゆっくり続きを待ちますo(^-^)o

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