ten little indians   

十人十色…その意味合いを深く感じて劇団名を「Ten Little Indians Club」と名づけ、演劇学校を卒業してアメリカに遊学後、恵比寿に稽古場を開き、1976年、劇団旗揚げをしたS先輩がいた。

学校時代、新劇界のドンと言われた学長・千田是也氏の秘蔵っ子と言われたこともあるS先輩は、この、十人十色の面白さ、個の輝きを説き続けた。彼の創作・演出する作品には、例えば小中学校時代の通信簿の点をわざわざ逆さまにした価値の優劣の人の見方のような、アンチ学閥主義というか、密かに落涙するような人間愛があり、それを最も尊ぶという形の表現への豊富なアイデア・手腕で、劇団を牽引していった。1965年、都立M高校の生徒会長であった時、黒澤明の「生きる」に感動し友人達が見るべきと教師たちに交渉し、校庭映画会を催したという話も彼らしいエピソードだ。

そんなS先輩の勧めで「Ten Little Indians Club」旗揚げに数ヶ月遅れて参加した。稽古場の近くのマンションに一人で住み、毎日ダンスレッスンや音楽演劇活動、アルバイトのホテルピアノ弾き語りに明け暮れ、蒼い恋愛沙汰にも揉まれて苦しみ、次回公演の手順のいつものような一方的通達の話の流れと同じに結婚がスルスルと組まれ、1979年、私はS先輩の姓を名乗ることになった。それは24年と半年、続いた。

明日(というか今日)の青山ライブのため、今日(というか昨日)昼間、Shoofiesの練習があった。
練習の合間に、ふとした事で生前のS先輩とのツーショットをメンバー達に披露したからか、何故か今頃(深夜)、そんなことを思い出していた。

Shoofiesレッスン終了後、友人で都議会議員のN氏のパーティーのBGM演奏をしに練馬区まで行ってきた。スピーカー・ミキサー・キーボード全部自宅から車で運んで。N氏の明晰ではっきりした頭脳と、いまだに朝街頭演説をするという並大抵でない努力、前向きで未来を切り開くプランと個人個人への気配り、徳への謙虚さ、などに目が覚める思いがし、自らを拙さを省みた。

帰宅してちょっと疲れ、少し寝ようかと思い、いやいや明日の準備がまだじゃないか、と起き上がって、ふと、Shoofiesの彼女に「十人十色」の話をしてあげればよかったかなぁ、とS先輩の遺影に問いかけたくなったのだ。

一人の力では大きな理想・夢を実現するのは難しい。幸い十人十色が揃っている。問題はそれからだ。都政もShoofiesも、同じだな。N氏にもS先輩にも、いまだに私は負け続けている。
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by imamusic | 2010-11-28 00:58 | 日々徒然 | Trackback | Comments(2)

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Commented by マダム酒ばら at 2010-11-28 19:22 x
絶対軸の大切さを、あらためて感じています。
Commented by imamusic at 2010-11-29 16:44
はいです。 m(_ _)m

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