つかこうへい作「ストリッパー物語」の想い出   

つかこうへいさんが亡くなったとのニュースがあった。
62才・・・そんなに離れてはいない演劇活動の歴史の中にいたけれど、私は彼の作品には馴染めず、
たった一回の舞台しか見ていない。
それも、大学の一期下で、学園祭で一緒に先輩作演出のアメリカンコメディーミュージカルをやったり気がつけば一緒に飲む場所にいたりお互い恋人同伴で泊まり歩いた仲のネギちゃんこと根岸季衣(あの頃は根岸とし江)が出演する、という理由だけで観に行った。
1970年代半ば。旧俳優座劇場での「ストリッパー物語」。客席は補助席まで出て大入り満員。つかこうへい事務所に前年入団したネギちゃんは主役に抜擢され、この作品で彗星のようにインパクトのあるデビューとなって有名になっていく。

舞台は熱を帯びていた。テーマを与えられたシチュエーションの俳優達によるの即興演技を元に組み立てるやり方は、ピーター・ブルックの養成所を出た大橋也寸教授のマイムによる演技指導で慣れていたので、ネギちゃんはすんなりと受け入れてやれただろう。それよりも、ストリッパーという役への彼女の下地の方が真似の出来ない行動だった。
彼女は失恋して大学を中退し、姿を消したと思ったら、あろうことか本物の浅草のストリッパーになった。しかしただのストリッパーではなくまだあの頃存命だった浅草オペラの長老歌手・田谷力三氏に見いだされた新人の一人だった。本物のストリッパーを経たネギちゃんの、つかこうへい「ストリッパー物語」のストリップダンスは迫力満点で術に長けていた。あのネギちゃんの長時間の独り舞台の場面が、この作品にものすごい求心力を与え、今でもその場面ははっきり思い出す(他の場面は残念ながら全く思いださない)。
つかこうへいの文字通りのデビュー作がこの作品だと思うが、口立て芝居の特徴からして、ネギちゃんのサッパリして勝気で人情もろい江戸っ子風な生き様そのものが、つかこうへいの出発点に大きな影響を与えていると想像できる。

面白く斬新なものが好きな私は、同時に保守的な部分もあり、当時はまだ粗削りだったつかこうへいの世界が好きになれず、その後一切、大ヒットした「蒲田行進曲」でさえ、観ていない。図書館に行ってもたくさん並ぶ全集に手が伸びない(それは井上ひさし作品に対してもそうだが)
芥川龍之介、谷崎潤一郎、萩原朔太郎、安部公房、寺山修司、松本清張、別役実・・・など、ついつい手が伸びてしまう作家も多い中、つかこうへい作品にはどうもバリアがあって、駄目だった。

しかし、多くの俳優を育てたという歴史は本物なんだろうきっと。
亡くなったので「つかこうへい」を検索してみたら慶応大学在学中に在籍していた「暫」(しばらく)という懐かしい劇団名を目にした。ネギちゃんも懇意なR先輩(後の私の夫)の起した劇団稽古場に、70年代、突然、タップダンスを習いに来た私の高校一期下で演劇部後輩(偶然の出来ごと)の石丸謙二郎君が、再会の喜びと共に「劇団「暫」に居た後、今は「空間演技」(あの当時活動盛んだったアングラ劇団)に居ます」と言ってたが、その後、つかこうへい劇団に入り、風間杜夫さん達と「熱海殺人事件」を演じて旋風を巻き起こす。得意技はタップダンスだった。彼も今は中堅俳優として大活躍だ。

自由劇場、つかこうへい劇団、黒テント・・・こういったアンチ新劇的劇団が、たぶん私の本質には合っていただろう。しかし私は、三大劇団を腕試しに受験し、二つに合格し一つに入ったけれど、結局、広い意味での絶対的価値基準としてチャイコフスキーやドビュッシーなどに比べ、どこも満足のいく劇団は無く、別の形で演劇活動を模索し実行しながら・・・ジャズピアノ弾き語りに落ち着いた。たぶん、これから、だ。
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by imamusic | 2010-07-13 17:50 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

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