出会い→京大「創造座」残党→予感   

水曜日、来月下旬にあるパーティーアトラクション依頼演奏のリハーサルに、東小金井のシャンソニエ「それから」に出かけた。
私の演奏は弾き語りだからリハーサルはいらないが、このお店のママさんのシャンソンや、パーティーの主催団体参加者の中のアマチュア演奏家のピアノ伴奏を15曲ほどしただろうか。
終了後、豪勢にも出前にぎり寿司の大器や、銀杏、美味しい冷奴、ビールなどが出て、リハーサルメンバーや会の幹事らと乾杯した。
お酒が入ると話が弾む。私の演劇人生の悪戦苦闘の話になり「ほらぁ~!人は話してみないとわからないもんよねぇ!」とママがみんなに声をかける。なんとこの会は元・京都大学「創造座」のメンバーで構成されているのだという。たぶん、みんなそろそろ80才くらい?ママも元女優さん。(そうは見えないけど。)
「今度、大島渚を呼んでさぁ、やろうよ」(大島渚氏はこのメンバーの仲間らしい・・・検索してみたら、創立者だった)。
「僕は、死んだ吉沢に頼まれて下北沢でちょっとやっている、今書いてる台本に音楽を入れてもらってもいいな」という脚本・演出のT氏(私が十数年間参加している下北沢演劇祭でお馴染みの世田谷区の劇団「京」の代表・吉沢京さんの事だ、創造座の出身だったのか、妥協を許さない厳しい闘士のような演出家だった、亡くなったとは知らなかった)。こんな出会いがあるなんて、嬉しい、と皆さん言って下さったが同感。
フルートを持ってきた方から名刺をいただいた。H市原爆被爆者の会の会長さんのようだ。
京大という所は、関西圏の意欲的な人達が集まった場所なんだな、と今更ながら実感。きっと広島出身者も多いことだろう。そして、あの頃の演劇運動は政治的理念も今よりずっと濃く、大島さんも、法学部で政治学者の猪木正道氏に師事したとのことだ。
私のやる昭和ジャズの歌を皆さん習いたいとのことで、このシャンソニエに通うことも今後出てくる予感。私としてはこの世代の方達から学ぶものはたくさんある。「セプテンバーコンサート」参加への私の疑問も、彼らと議論してみたい。
そしてまた、この場所を紹介してくれた小金井のシャンソン大好きなナイスミドルH氏の作詞の「それから」(作曲・歌唱・演奏は私)というオリジナルシャンソン曲は、この店の名前に由来するのだ。
フランス語を後半に入れ手直しした歌詞が送られてきたので、それをもって来月はレコーディングする予定。
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by imamusic | 2009-10-30 12:34 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

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